沖縄戦没者遺骨収集に参加して       近藤 悠人

 ぼくが遺骨収集に参加するのは、今回で2回目でした。出発するときは、2年前より、少しでも多く見つけさせてもらおうと意気込んでいました。
 奉仕作業一日目、午前中は父が歯を見つけたのが始まりで、真幸君(従兄弟)や大倉先生(四条畷教会長)、ぼくが砕骨数片を拾わせていただきました。午後、父と真幸君と三人で二つのガマ(自然壕)を捜索しましたが、軍靴や食器片などしか見つかりませんでした。一日目の作業終了間際に、全員の集合場所に戻り、木の根でつまずいた時、ふと視線が下に行きました。その時、足元に落ちていた大腿骨のかけらを見つけました。ぼくはその時、つまずいたこともおかげなのかな、と思いました。

 二日目、ぼくは高橋先生(扇町教会副教会長)のグループとともに、道のない急な坂を登っていきました。すると、ほとんど原型のまま残っている巨大なガマがありました。そこには岩をいくつも重ねた壁があり、表面は火炎放射で焼かれた跡がくっきりと残っていました。生々しいその状態を見てぼくは、アメリカとの戦いを現場で実感させられました。午後は、別の場所を重点的に掘り、捜索しました。すると小さな遺骨がたくさん出てきました。最初は、意思や木の枝と間違えそうなものばかりでしたが、そのうち、簡単に遺骨を見分けることができるようになりました。最後の確認をベテランの参加者の方にしてもらうと、自分で拾ったものがほとんど遺骨だったので正直びっくりしました。

 二日目の夕方は、平和祈念公園の一角で慰霊祭が執り行われ、参拝しました。
 前回よりももっともっと戦争の恐ろしさを実感しました。最終日は「美ら海水族館」を見学しましたが、とてもまぶしくて美しい沖縄の海と、水族館で歓声を上げる多くの人たちや、アメリカ人の子どもたちを見て、平和で美しい沖縄がずっと続いて欲しいと思いました。


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